* ☆ *




――この国には星の光が降る。
  星の光が私たちを育ててくれる。
  だから私達は、お星さまに感謝しなくちゃいけないよ。



「星の神様であるチェレスノッテ様は、
 この地に自らの一部である星の欠片を授けました」

「元々は荒れ果て、命の育つことのなかったこの地は、
 神様の授けた星の欠片でみるみる繁栄に包まれ」

「そうして出来た一つの国を、私達はヴィア ラッテア、と名付けました。……」

飽きてしまったようにパタン、と本を閉じて。
少女は気だるげに一つため息をついた。

「神様のことを信じていないわけじゃないけど」

「おとぎ話を読んでいるみたい」

キャローレ、と少女を呼ぶ声が部屋の外から響けば。
どこか慌てたように口を抑えた後、ため息をついた。

「い、今行く!」



「では今日も、この国にチェレスノッテ様のご加護がありますよう」

アウローラ――国の聖歌隊が、朝の祈祷と讃美歌を終え、それぞれに散る。
少女はどこか気の滅入った様子で辺りを見回した。

「キャローレ、今日も元気に外してましたねぇ」

「もー、言わないでよ…自分でも分かってるんだから」

眉を顰めて視線を逸らす。
少女はアウローラに所属していて、だからいつも朝にはその一員として賛美歌を歌うのだけど。

「毎日練習してるのに、全然音痴は治らないし…」

もう、と投げやりに一つ呟いて踵を返す。
少女達の歌には、特別な力がある。
この地が、あるいは自分たちが浴びて、貯めこんだ星の光を祝福に変える力。

その祝福をどのような形にするかは、少女達の素質に左右される。
けれど、祝福の基本とされる歌――讃美歌だけは、素質のある者であれば皆、歌うことが出来た。

讃美歌を歌うだけなら、歌の上手さより星を愛する心の方が重要らしい。が。
周りの声と不協和音を奏でるのであれば、少女にとっては大問題であった。

「でも、キャロにはこれしかないからなぁ」

夜が終わり、陽が昇る空を見上げる。
少女には、身寄りがいなかった。少女は捨て子として、ある日、今はすっかり読み慣れてしまった本と一緒に、この聖歌隊に届けられたのだ。
だから、少女にあるのは。キャローレという名前と歌だけ。

一人でいるわけではない。話してくれる人も、仲良くしてくれる人も少なからずいた。
暮らしに困っているわけではない。ご飯を食べるためのお金も、ぐっすり眠るためのふかふかのお布団ももらえた。
この国が嫌いなわけではない。優しい人ばかりの、暖かくて穏やかな国だと思っている。

けれど時々、こうして少女は寂しい気持ちになるのだ。



「……おっ、」

「え?」

少女に不意に降ってきた声。
少女がそちらに振り返ろうとした時には、ガシッと肩を掴まれ
壁を作る様にグイっと押されて手が離れた。

「うわっ、えっ!?何、何してるの?」

「ちょっとだけ匿ってくれ」

それだけを言って声の主はしゃがみこんだ。
まともに顔すら見れていない。文句の一つでも言ってやろうと、そちらを向く前に少女は呼び止められた。

「ああ、そこの子!ここらへんで王子を見なかったか!?」

「はい!?え、み、見てませんけど…」

「そうか…ありがとう!」

それだけを言って走り去る後姿を、少女は見つめた。
鎧を纏っている――どうやら騎士の類らしい。
王子、王子。言葉だけを繰り返して、少女は後ろを向いた。

「……もしかして、」

視線だけで問いを投げかける。
走り去っていった足音が止めば、しゃがんでいたその人は顔をあげた。
少女はこの国の王子の顔を知らない。この国の知識に少し疎いところがある。
それは、少女自身が本当にこの国の生まれなのか、
分からないままの後ろめたさから来るのかもしれないけれど。
ともかく、少女にはこの人物――声からして少年だろうことしか分からないその人を、王子と断定できる材料はなかった。

「…いやぁ。王子が行方不明なんて大変だよな」

けれど、あからさまに白々しい声でそんな風に言うその少年に、少女は眉を顰めた。

「………さっきの騎士さん、追いかけようかな」

「後生だからそれだけは」

「いやだよ貴方のこと匿ったらキャロ共犯にされる!!」

「一緒に怒られるくらいだって!」

「いーやーだー!!」

傍から見れば、それは子供たちの戯れにしか見えない。
それをひとしきり繰り返したけれど、少女は声高高にその少年の正体を言うことはしなかった。

「……結局キャロが匿ったって夜になる前には帰らなきゃいけないんじゃないの?」

「それはそうだけど…だって暫く外出てなかったし…少しくらいの家出なら神様も許してくれる…」

「王子が使っていい言い訳じゃない………」

本当に王子か?と疑いかけた少女だけれど、
わざわざ隠れる必要も嘘をつく必要もないので、少女は露骨に面倒だと言いたげなため息をついた。

「…お日様が沈むまでだからね」

けれどまあ、少女には大して予定もなかったので。
少しの間だけなら、と結局は頷いた。

「おお…ありがとう民草の少女よ、くるしゅうない」

「急に偉そうになったなぁ…」

「なんか本当に王子か?みたいな顔された気がして」

「自覚があるならもっと違う方向で王子アピールしてよ」

「金…とか……?」

「そうじゃない………」

そんなやりとりをしていると、道すがらこちらをちらちらとみる視線を感じて、
少女は通りを振り返った。

「もしかしてあの子、カプリコルノ様…?」

「まさか、王子がこんな時間に出歩いているなんて聞いたことがないわ」

「でもそっくり……」

再び少年の方を振り返れば、僅かに眉を顰めていたのは一瞬で。
すぐに通りの通行人に向かって笑顔で手を振った。
少女がそれを怪訝そうに見つめていると、少年は少女の腕を引いて早足で歩き始めた。

「うわっ、きゅ、急に何!?」

「ここにいたらバレそうだしさっさとどっか行こう。
 折角監視の目をかいくぐって外に出てきたんだ、もっと色々見て回りたい」

少女はまた面倒くさそうな顔をした。
このまま見つかったら、やっぱり一緒に怒られるんじゃないだろうか。
そんな感情が顔に出ているだろう自覚はあって、けれど少年はこちらを見ても
いたずらが成功したような顔で笑っただけで。

この国の頂点に立つだろう子供が、こんな顔で笑うのか、と思うと。
少女は、お星さまが転がり落ちてきたような心地がしたのだ。



時は流れ星のように過ぎていく。
それが色に溢れていればいる程。
やがて空は暗く、夜が訪れる頃。

「……もう夜かぁ」

少年がぼんやりと、そう呟くのを聴いて少女は一つ息を吐いた。

「じゃ、いい加減お家に帰りましょうね。王子様」

「あーやめろやめろ、お前に王子って言われるのはなんかやだ」

「キャロにはキャローレっていう名前があるの、お前っていうくらいなら名前で呼んでよね」

「そういや名前聞いてなかったな、キャローレっていうのか。
 おれは…まあ、分かってると思うけど。カプリコルノ・チェレスノッテだ」

カプリでいいよ、とつけたして少年は少女を振り返る。

「また上手く抜け出せたらよろしくな、キャローレ」

「また抜け出す気なんだ……」

少女の呆れた表情も意に介さず、少年は足早に去っていく。
手を振って駆けて行った姿を、少女は何も言わずに見送る。

「………帰ろ」

きっと、一夜限りの気まぐれな逢瀬だ。そんな気がした。
名前を名乗っただけで、家を教えたわけでも予定を教えたわけでもない。
だからこれっきりだ。少女は無意識に、自分にそう言い聞かせていた。



「そういえば、聞きました?キャローレ」

そうして帰った後の夕食、他愛ない会話の中で少女はふとそう訊ねられた。

「何が?」

「カプリコルノ様がお忍びで街に来ていたらしいのよ」

「へっ、」

声が漏れて咄嗟に、少女は口を手で抑えた。

「あらあら、意外ですねぇ。言っておいて何だけれど、
 キャローレは王子様の名前を知らないと思っていましたよ」

「あ、あ~…この前偶然誰かが話してるのを聴いて…」

「ああ、そうだったんですねぇ。
 確かに、カプリコルノ様は色んな意味で話題になっていますからね」

「色んな意味って…どういうこと?」

「ええっと…例えば、」

と、語り始めた隣人の口から聴いた話によれば。

――カプリコルノ・チェレスノッテは、
  歴代の王族の中でも例のない程の、強い力を持つ存在らしい。
  
  王族の力は、生まれた時に星の神様から授かる
  掌に乗るくらいの大きさの煌びやかな宝石――星の欠片。
  その欠片の力をどれだけ引き出せるかによって決まる。
  また、力は大きく三つの種類に分類される。

  蒼の星の欠片は、守護。
  黄の星の欠片は、恩寵。
  緑の星の欠片は、豊穣。

  国全体を揺るがす程の力を、王族は一人一人が持っている。
  そして、カプリコルノ・チェレスノッテが持つ力は"恩寵"。
  この力は、降り注ぐ星の光をより強くする。
  星の光は私達の暮らしに大きく関わっていて、
  星の光が降り注げば降り注ぐほど、この国は繁栄し安泰でいられる。

  らしい。

「……相変わらず半信半疑って顔してますねぇ」

「だって実感湧かないし…」

「カプリコルノ様が毎晩星の欠片の力を使っているから、
 私達はこうしておいしい食事にありつけているんですよ?」

「って言われてもなぁ…」

「ただ、あんまり強すぎる力を持っているからか、
 病弱らしくて長い時間外に出ることが出来ないらしいですけどねぇ」

少女はただ、ふうん、とだけ返した。
そうしてまた夕食を一口頬張った。

大きな力を持っていて、この国を繁栄させて、皆からこうして崇められている。
それはもう、地に足がついているだけのただの神様なんじゃないか。
少女はぼんやりとそんなことを思って、どうしてか、落胆していた。

…星は星だ。
夜空に浮かんでいて、決して手が届くことはない。
今日は少しだけその光が鈍く見えて、手を伸ばせば触れられるような気がしていただけだ。

「……星光浴、今日は行きたくないなぁ」

「あらあら、珍しいですねぇ。
 キャローレ、星は好きでしょう?」

「好きは好きだけどさぁ~…」

「我儘言っちゃだめですよ。
 私達だって、星の光がないと聖歌の効果が薄れちゃうんですから」

「……分かってるよ、もう」

どこか拗ねたようにそう言って、少女は夕食を片付けていく。
今日も変わらない夜が来て、明日も変わらない朝が来る。
そうして少女は、星に届かないまま夜空を巡る。

それでも、少女はこの場所が好きで、歌が好きだった。

* ☆ *