* ☆ *
そうして、少女が地下に籠ってから三日が経った。
変わらず役に立つ情報は何一つ、得られていなかった。
大体、本棚の三分の一。少女の読むペースが早いために、予定よりも多く確認できていた。
けれど、それは眠る時間を割いてのもので。
「……、あれ…」
いつも通りに本を少女の視界が眩み、そのまま本棚に頭をぶつける。
ぐちゃぐちゃになっていた本棚から、数冊本が落ちては倒れた少女に降り注いでいった。
「い、ったぁ……!!」
ふらふらと起き上がる。そうして散らばった本を見つめた。
ずきずきと痛む頭を押さえて、本を拾い上げる。
思わず、ため息が漏れた。
「ちょっと、あんまりぐちゃぐちゃにしないで頂戴」
「わっ!?」
不意に後ろからかかった声に、少女はもう一度頭をぶつけかける。
女性は呆れたような声でキャローレ、と名前を呼んだ。
「その調子だと、大して寝ていないんでしょう」
「……眠れないよ、こんな時に…」
寝なければいけないことを理解していても、寝る時間を惜しいと思ってしまう。
結局あまり休めないままに目が覚めて、そうしてまた本を漁り始めてしまうのだ。
焦っている、分かっている。分かっていたってどうしようもない。今この瞬間だって時は過ぎていく。
間に合わなければ、全部失うのだ。その焦燥感だけでおかしくなりそうで、けれど一番何もかもを失うのは少年の方なのに。
「これ以上本を散らかされても困るの。
今日はもう一日寝てなさい、そんな調子で本を漁ったところで何も見つからない」
「でも時間が、」
「貴方に拒否権はないわ。ここは私の空間よ。
それと、何を探しているか教えてもらおうかしら。
寝泊まり代よ、暇つぶしになりそうなものを探していなさい?」
にこ、と笑みを浮かべる女性に少女はうんざりとした顔を浮かべた。
探し物なんて事前にあって、だから来ているのに暇つぶしになりそうなどという要望を出してくる。
少女は、女性のこういうところが苦手だった。
「……友達が。死んじゃいそうなの。
だけど、どうやって助ければいいか分からない」
それだけを告げた。詳しいことを話してただの暇つぶし扱いされるのも嫌だったし、
けれど曖昧なことだけ伝えてつまらない、とそれだけで終わらせられるのも嫌だった。
「…それはまた随分な難題ね。
態々ここに来たんだから、医者にかかってどうにかなるわけでもないんでしょうね」
言葉だけは真剣で、しかし声は酷く軽く、楽し気だった。
少女は思わず怒りのままに声を荒げてしまいそうになったけれど、それをどうにか抑えた。
女性は、そういう人間だ。自分を拾ったのだって、きっと楽しくなりそうだったからに過ぎないのだろう。
物語に出てくる悪い魔女は、きっとこういう性格をしているんだろうな、なんてぼんやり思いながら。
「ええ、ええ。それは確かにここにくる理由になるわ。
じゃあ、今度こそ寝ていなさい。眠れないって言うなら、私が寝かせてあげるわ」
そう言って女性はポケットから小さな紙袋を取り出すと、その封を切った。
ふわり、辺りに甘ったるい匂いが充満する。少女がそれに気づいた時には、逆らえきれない眠気に侵され、足元から、崩れ落ちていた。
「おやすみなさい、キャローレ」
その言葉を最後にして、少女の意識は途絶えた。
次に目を開くと、少女はかつて案内された寝室のベッドに寝かせられていた。
漸くの深い眠りに、ぼんやりしていたのも数秒。
「……っ、今何時…!?」
慌てて飛び起きると、時計を見ようとする。が、寝室には時計がなかった。
そのままの勢いで部屋を飛び出す。廊下を駆けて、そのまま本のある部屋まで戻り、時計を見上げた。
時計は夜の八時を示していた。寝かせられたのが朝頃だから、半日近くは眠っていたのだろう。
本当にまるまる一日以上眠っていなければ、の話だが。
「おはよう、キャローレ。随分元気のいい目覚めだこと」
そんな風に時計を見つめていた真正面から女性が現れる。
「えっ?!そ、そこ壁……、」
少女が驚きのままに視線を落とすと、壁だったはずのそこに扉があった。
女性は少女の顔を見て、楽し気ににこりと笑う。
「特別よ、貴方をこの部屋に入れてあげる」
扉の先は薄暗く、棚の上に埃が乗っているのがぼんやりと見える。
切れかけの灯がカチカチと音を立てて、けれどそれに照らされる本たちには、埃は積もっていないようだった。
「……ここは…?」
「ここにある本は、私が集めたものじゃないわ。
あそこに梯子があるのが見えるかしら?私より前に、地下でこういう部屋を作った人がいたのよ」
女性が指差した方に目を向ければ、確かに梯子がかけられていた。
きっと地上へ続く梯子だろう。女性と同じように、地下に捨てられた本を隠している人がいたのだ。
しかし、梯子だと上り下りが大変そうだ、なんて想像して少女がちょっと眉をひそめているのを横目に、女性は続ける。
「あの本を読んでいるなら、この国はかつて荒れ果てた地に、神様が力を与えて繁栄したことは覚えているわね?」
「まあ、うん、それくらいは……」
「ここにある本はそれより前――つまり、かつてこの地にあった、別の国に残されていた本たちよ」
え、と口から漏れた声と共に少女は改めて本を見つめる。
保存状態自体はいいようで、あまり文字のかすれなどは見られない。
けれどそこに書かれた文字は見慣れないもので、どれも等しく色あせていた。
「今は失われてしまった技術や知識が、ここにならあるかもしれない。
最も、それを扱える者がいるかは別だけどね。
暇つぶしに作った言葉の早見表も貸してあげるわ」
ポイ、と薄いノートを少女に投げて寄越すと、女性はまたにっこりを笑みを浮かべて。
「貴方なら面白いものを見つけてくれると期待してるわよ?キャローレ」
そういって楽し気に部屋を後にした。
とことん暇つぶしに使われていることに対しての不満はあったけれど、これは確かに新しい情報だ。
王様たちですら全く知らない可能性がある。ここにある本という形でしか、前の国のことが残されていないのだとしたら。
受け取ったノートをぱらぱらとめくる。見慣れない言葉の横に、少女たちの公用語。確かに、きちんと訳されているようだった。
「……でも、時間かかりそうだなぁ」
こればかりは、手当たり次第に探すというわけにはいかないだろう。なんせ、開いたところで書いてあるのは未知の言語だ。
幸い、背表紙に書かれている文字は掠れていない。だから、本の題名を片っ端から確認していって、役立ちそうな本をしっかり読んでいくのが一番いいだろう。
そう結論付けた少女は、そう多くはない本たちと向き合って、また確認をし始めた。
そうしてまた数時間が経過した。
本の題名を確認していく少女の傍らには、数冊の本が積まれていた。
その国の歴史が書かれていると思しき本、それから子供向けに書かれたであろう言葉の練習の本。
少女が読んでも役に立ちそうな本といえば、それくらいしかなかった。医術の本も探したけれど、特にそれらしき本は見つからない。
少女の知識が少なく、見つけられていない、という可能性もあるけれど。
「………、?」
ふと、少女は手を止める。ノートと本の題名を今一度照らし合わせる。
題名は、『陽の祝福を紡ぐ歌』。それを手に取って、パラパラと捲っていく。どうやら、楽譜のようだった。
少女はその本も脇に置いて、また別の本を見始めた。
一通り題名の確認が終わる頃には、少女は大分くたびれていた。ため息をつくと、その場にしゃがみ込む。
「この国の言葉、キャロ達の使ってる言葉と似てるところもあるみたいだけど…」
やはり、同じ地に住むのだから、多少は受け継がれているのだろうか。
けれど似ているからと言って知らない言葉は知らない言葉。早見表があるとはいえ一つ一つ確認するのは気力がいる。
傍らの本たちの表紙を、そっと指でなぞった。
「……陽の祝福、」
今少女たちに祝福を与えているのは、星の光だ。
言葉だけ見比べれば、真反対の力のように思える、けれど。
と、思考を巡らせようとしたところで欠伸が漏れた。
訳しながら読むのであれば、流石にきちんと寝なければならない。これ以上文字を読んでも頭に入る気がしなかった。
本を抱えたまま出てくる少女に、本を読んでいた女性が顔を上げる。
「今日はお終い?そうね、読むのに時間がかかるもの」
「……ねえ、お母さん。陽の祝福って、何」
少女は不意にそう訊ねた。早見表を作ったということは、少なからずあそこにある本を読んだと思ったからだ。
女性は一度瞬きをしてから、そうね、と付け足して話し始める。
「貴方達が信じている星の光とは真反対の力。
太陽の光で祝福を行う、今となっては失われた力の一つね。この国の人間からすれば、毒のようなものよ」
「……どうして?」
「陽の祝福は、星の祝福を打ち消すからよ。そうでしょう?太陽が昇っていたら星は見えないわ」
女性はそれだけを言うと立ち上がった。
時計を見上げると、再び少女に視線を戻す。
「じゃあ、今日もおやすみなさい。早くここから出られるといいわね?」
そうしてまた去っていく。閉じ込めたのは自分だというのに、よくそんな風に言えるな、と思ったけれど。
でもこの状況がありがたいのも確かだった。少女は同じように時計に視線を向ける。そろそろ、日付が変わろうとしていた。
こうも籠っていると、日付の感覚が狂ってしまいそうになる。カレンダーでもあればいいのに、と一人心の中で呟いて、寝室へと向かう。
寝室の机に、持ってきた本をどさ、と置いた。
歴史の本はかなり分厚い。全部読んでいたら一日丸々使っても足りないだろう。
言葉の本は、そこまで分厚くはない。パラパラと捲ってみたけれど、発音の練習もあるようだ。
「……毒、かぁ」
ふと、女性の言葉を繰り返す。本当に、そうなのだろうか。
だって、陽の光を浴びると少女はとても暖かい心地になる。
ぽかぽかして、胸がじんわりとして、幸せな気持ちになれるのだ。
(きっと、昔の人だって。そんな幸せな歌を歌ったはずだから)
それがただの毒となり果ててしまっているなら、あまりに悲しい。
もしできるなら、自分にもこの歌が歌えればいいのに。
そんなことを思いながら、少女はまた眠りについた。