* ☆ *




『―――、――』

『――――。―――――』

声が聞こえる。
晴れやかな空の下で、誰かが笑っている。
皆が幸せそうに、お日様の下で歩いている。

そうして、歌を歌う。楽し気に歌う。
大地も、草も花も、動物も、何もかも。生き生きとして、輝いている。



「………、」

そんな夢を見て、少女は目を覚ました。
勿論、この部屋に日差しが降り注いでいることはない。
けれど、どこか胸の奥がぽかぽかとしている気がした。

「なんだったんだろう…」

ただの夢といってしまえばそこまでなのだけど、
それでもこの国の景色とは少しだけ違う気がしたのだ。この国は、夜に生きているから。

「…ってもう、それよりも!」

ぼんやりしていたのも数瞬で、ガバっと勢いよく起き上がれば持ってきた本へと手を伸ばす。

「まずは言葉の本からかなぁ…言葉が分からないと始まらないし」

パラパラとページを捲りつつも、女性からもらった早見表と照らし合わせつつ、読み進めていく。
子供向けに書かれたのだろうこともあり、読み進めていけばある程度の理解が深まった。
とは言え、簡単な言葉が少し分かるようになっただけだ。それだけでも、少女にとってはありがたかったが。

「……sol、あ、太陽なんだ。il soleとちょっと似てる…」

一通り読んで分かったことだけれど、やけに太陽という言葉が多く出てくる。
陽の祝福、というタイトルの楽譜もそうだ。もしかすると、この地では昔、星ではなく太陽が信じられていたのだろうか。

「っていうのを、確認するために…次はこっちかな」

歴史の本を手に取る。ずっしり来る重さに、思わずうわ、と声が漏れた。
少女が女性からもらった、この国の歴史の本とはまた違う。これは本当に、細かいところまで載っている本なのだろう。
それらしい概要の部分だとか、目次から分かることだとか、それくらいだけでやめておこう。
そう思いながら少女は本を開く。

「……紙と鉛筆借りてこよ」



メモをしながら少女は本を読み進める。
大雑把にまとめて見れば、確かにヴィア ラッテラとこの国――テンペスタース ボナという国は、ずいぶん正反対であることが分かった。

この国では、陽の出ている時間の方が随分と長い。ヴィア ラッテラでは朝七時から夕方四時までなのに対し、テンペスタース ボナでは朝四時から夕方七時まで。
そして、星ではなく陽を信仰している。ヴィア ラッテラの国民が星の光を使うことが出来るのと同じように、この国では陽の光を使っていた。
更に、歌。アウローラが歌うような、特別な歌がこの国にもあった。それが載っているのが、少女が持ち出してきた楽譜だろう。

歴史の本を閉じて、楽譜を開く。

「讃美歌、讃美歌……は、ない…」

目次から讃美歌の文字を探したけれど、そこに讃美歌は見つからなかった。
そもそも、そういった歌の種類を書いてあるのではなく、歌の題名がそこには載っているようだった。
それを一つ一つ、少女は訳していく。

「……、Canticum in spe――願いの、歌?」

ふと、手を止める。少女はぺらり、ページを捲って目的の譜面を探す。

「……えっと…ううん、歌えるかなぁ」

歌えたとしても、それは星の光を使う歌ではない。それに、少女は讃美歌すらまともに歌えないほどの音痴だ。
だから、期待はしていなかったし、練習するつもりもなかった。少し口ずさんで、それだけでこの楽譜は、閉じてしまうだろう。

「……… Sol、」

そうして歌い始めて、すぐに気づく。
まず一つ。全く音が外れない。少女は自分でも驚くほどに、滑らかに、軽やかに歌を紡いでいく。
そして、もう一つ。部屋の灯が、少し薄暗くなった。ぼんやりとほの暗くなっていく部屋の中で、少女は譜面が見づらくなってしまい、歌を止めた。

「……う、上手く歌えた…!」

少女は灯が壊れてしまったかもしれないことに思考は向かず、ただ、いつもの音痴が発揮されなかったことに一人ではしゃいでしまった。
ずっとずっと讃美歌を練習してきて、全く上達しなかったというのに、今綺麗に歌えたのだから、喜ぶのも当然と言えば当然だった。

「キャローレ?貴方何をしたの?」

「わっ……って、え?」

「部屋の灯が段々暗くなっていくから、驚いたのよ。
 ……って、ああ、成程ね」

不機嫌そうな顔をしていた女性が、寝室の扉を開けて少女に声をかける。
けれど、手元の本を見て合点がいったように笑みを浮かべた。

「その歌を歌っていたからね。
 言ったでしょう?陽の光は、星の光を打ち消すの。この国の灯なんて大抵は星の光を使ってる。
 ここで歌えば、それは灯が消えてもおかしくないわね」

少女は、灯を見上げた。
ゆらゆらと揺らめく灯は、仄暗いままだ。星の光を溜めて使う灯だ、星の光にもう一度当てないと戻らないのだろう。

(少し歌っただけでこうなっちゃうんだ…)

と、感慨深くなりながらもふと首を傾げる。
この歌はきっと、陽の光を使う歌だ。それがどうして、自分に歌えたのだろうか。

「ところで、歌を歌っているなんて随分気楽なのね?
 それとも、その歌を使ってお友達を助けるつもりなのかしら」

女性の揶揄うような言葉に、その思考は止まる。
むっと女性を睨んで、少女は咄嗟に言い返そうと口を開いた。

「そういうわけじゃ……、」

けれど。
そこでふと言葉を止めた。

この歌は星の力を打ち消してしまう。陽の光が星の光を飲み込むように、見えなくしてしまう。
それは確かに毒のようでは、ある。陽の光は、星の光に比べて眩しすぎる。だから、少し歌っただけでも星の光は飲み込まれてしまうのだろう。
けれど、それは。それはきっと、傷つけるための歌ではない。そんな風に、変わってしまったわけではない。
だって今でも、お日様は昇る。自分たちを照らす。そこにもう祝福がなくて、ただの光だったとしても、ぽかぽかと暖かく、輪郭を映し出して。

眩しすぎる星の、それが作り出す影でさえ、きっと。

「………、…」

そうであってほしい、という願いもあった。
昔誰かが、誰かに願いをかけた歌。きっとこの歌だって、大切な想いを運んだ歌だから。
この歌がもう一度誰かを救うところを見たかった。助けられるという保証はどこにもなかった、それでも。

「…お母さん。この楽譜、借りてくね」

「あら、それでいいの?」

「これじゃなきゃ、駄目なの」

確信した様子で言う少女に向けて、女性は満足げに笑みを浮かべた。

「そう。じゃあ、あの本を返さないといけないわね」

そう言って、きっと本を取りに行くのだろう、女性は踵を返す。
少女はもう一度、手元の譜面に視線を落とした。仄暗い部屋で、大して文字も見えはしなかったけれど。

――これが本当に、正しい道なのかは分からない。
信じなければ進めないのは分かってる。時間がないからこそ、信じて選ぶ必要がある。
いつ終わるか分からない夜を照らすには、それが必要だ。

だから、迷いも不安も今は押し殺さなければならない。悩んでいる時間すら惜しい。
一つを信じて、それが駄目だったらまた振出しに戻るのだ。

(……違う、こんなことを考えるのも駄目だ…)

讃美歌を歌うには、星を信じること、つまり心や想いが大切になる。信じることが力になる。
だから、同じように。少女はこの願いの歌を、信じて歌うのだ。この願いが、少年を救うように、と。



「歌で遊び終わったらまた帰ってきていいのよ」

態々扉の前まで見送りに来た女性が、そんな風に言うのをむっと少女は睨みつけた。
結局、その時はまたここに来なければならない。まだ本を全部見きれてはいないのだから。
軋んだ扉を再び開けながら、けれど、出来ればそうならないでほしいと思った。

「キャローレ。言うことがあるでしょう?」

「………、…行ってきます、お母さん」

「ええ、いってらっしゃい。私はいつでもここにいるわ」

その言葉を背に受けながら、少女はその部屋を後にした。



『この子、星に祝福されてない子なんです』

『このままでは死んでしまいます、私たちの手には負えない』

『どうか助けてください、星に見捨てられたこの子を、どうか――』



「…貴方達を照らすのは、星だけじゃないのよ。優しくて残酷なお母さん?」

閉じた扉を見つめて、ぽつり、女性はそう零した。

* ☆ *