* ☆ *




少女の一日は、夜が明けるより前に始まる。
星の煌めきよりずっと眩しい灯がチカチカと光れば、
鈍い動きでそれに手を伸ばして、灯を消した。

「………ふぁ、」

一つ欠伸をしてから起き上がる。
ベッドから降りて、寝間着から着替える。
そうして身支度を整えてから、簡単に朝食を済ませる。
買いだめしているパンと、それから牛乳を飲めば、最後に歯磨きして髪を整えて終わり。

「行ってきます」

誰に言うでもなく告げて、少女は扉を閉じた。



少女達が集うのは、大きな教会のような建物だ。
少女のようにここに暮らす者もいれば、家からここに通っている者もいる。
そしてその大半は、星の神様を信じ、王族を信じ、敬虔な祈りを毎日捧げている。

少女がのんびりとチャペルに向かえば、既に隣人たちが集まっていた。
少女はこっそりと一番後ろへ並ぶ。そこが少女の定位置だった。

「おはようキャローレ。今日もお隣ですねぇ」

「貴方が、朝早くから来てるのに一番後ろにいるからでしょ?」

「ふふふ、キャローレの元気な歌声を聞かないと夜が明けないんですもの」

茶化すようにそう言われて、少女はぷいっとそっぽを向く。
そうしている間に、祈祷が始まろうとしていた。



聖歌隊がこうして毎日、夜明け前に祈祷と讃美歌を繰り返すのは。
夜が明け、星が隠れている昼の間でも神様がこの地を守ってくれるように。
そんな想いを込めて祈りを捧げているからだ。
どうかこの地が、自分達が、星の光を持っていられるように。

(…と、いう話を何回も聞かされているけど)

それでも少女の中ではまだぼんやりとしていた。
やっぱりどこか遠い世界の話に聞こえていた。

夜空にいくつ星が散りばめられていたとしても、
それを繋ぎ合わせることが出来ないなら、空に浮かぶ星座達に気づくことは出来ない。
繋ぎ方を知らないのだ。だから、星は星でしかないし、ただ光っていることしか知らない。

「………、」

また、夜が明けていく。
星が見えなくなって、代わりにお日様が顔を出す。
少女は、実を言うと昼の方が好きなのだ。陽の光を浴びるとぽかぽかするし、気持ちが晴れやかになる。
少女は隠し事が下手なので、そんな想いを何度か隣人たちに話してしまったことがある。

この国の人間は、優しい。少女が何度も感じていること。
だから、お日様が好きといっても、否定されることはない。
お日様もいいよね、洗濯物も乾くしね、なんて笑顔で返してくれる。

それでも、この国の人が愛するのは夜で、星だ。

「…でもやっぱりキャロは昼の方が好き~っ!」

言って、大きく伸びをした。
そうは考えていても、少女は周りに合わせて好きなものを変えられるほど器用ではなかったし、
今日も空が晴れてお日様の光が降り注いでいるのが、何より嬉しいのだ。
寂しくはなっても、好きなものは好きだ。少女はそう思うから、ふさぎ込んだりはしなかった。



少女は街へと出かけていく。
この街の主役は夜だけれど、だからと言って皆昼間は寝ているわけではない。
なんせ、この国の夜は出しゃばりだ。
普通の国であればまだまだ陽が照っている時間にお日様を送り出して、空を暗くしてしまうのだから。
だから、十分に夜を感じてから眠ることが出来るのだ。

「今日のお昼はどうしようかなぁ~…」

そして、少女がこうして街を歩いている目的は、昼食の調達である。
朝はぎりぎりに起きるものだから大して凝ったものを食べる時間はなく、
夜は用意されている食事を食べているから自由に選べるわけではない。
だから昼ぐらいは自由にご飯を選びたい、と思うのも自然なことだろう。

賑やかな街を下っていく。
花びらがひらひらと落ちていくように、自由に軽やかに。
人の声も、焼き立てのパンの匂いも、子供たちの足音も。少女は大好きだ。

「……よし、今日はあそこにしよっと!」

少女はくるりとお店の方を向いて立ち止まった。
カウンターが大通りに向けて作られたそのお店は、ベーグルサンドを売っている。
少女のように、お日様を浴びながら食事を済ませたい人にとってはうってつけの昼食と言えるだろう。

「すみません、ハムサンド一つ~!」

ご機嫌な様子で注文を済ませる。
注文を受けた店員がベーグルサンドを作り始めるのを見送ってから、
ふと通りに目を向けた。少女と同じように昼食に向かう人、あるいは昼食を済ませどこかに出かける人。
この国では、まだ明るいと思っていてぼんやりしているとすぐ夜が来る。
だから、今のうちに予定を済ませようという人もたくさんいるのだろう。
夜は大切な時間だから、その分、昼は夜の為の時間として費やすのだ。

「……ん?」

そうして少女がぼんやりと人間観察をしていた道の先。
見覚えのある人影――とはいっても、一度しか見ていないから、少女に確信はなかったけれど。
その人影が、少女の方を見て楽し気に手を振れば、少女は眉を顰めた。

「え~なんだその反応。おれ悲しい…」

「性懲りもなく抜け出してきたんですか、王子様」

「カプリでいいって言ったろ~」

ついこの前抜け出してきたのだから、監視体制も厳しくなっていたはずだろうに
こうも気楽そうにしているのは何故なのか、と怪訝な視線を送る少女を意に介さず
少年はこいつと同じの一つ!なんて楽し気に注文をしている。

「というか聞いたよ、貴方って…」

「貴方じゃなくてカプリ」

「…カプリって、体が弱いんでしょ?だから外に出ちゃ駄目って言われてるんじゃないの」

店員が、ハムサンドを二つ渡す。
少年は勝手に二人分のお金を支払って、片方を少女に渡した。

「ん」

「えっ、お金は?」

「この前付き合ってくれたお礼。奢ってやるよ」

「………。ありがとう」

ハムサンドを一口かじりながら、少女は少年を見つめる。
うまいなこれ~、なんて気の抜けた声で言う姿は、やはり王子らしくはない。
チカ、と目が眩む気がした。

「…ってか、キャローレだっけ?なんか今日よそよそしくない?」

「よそよそしくもなるよ、だって貴方王子様なんだから」

「この前だって王子だってことは知ってただろ~?」

「それはそうだけど…この前は、貴方の名前と姿しか知らなかったし」

そう、少女は正直なところ、この少年に自分と同じであることを期待していたのだ。
例えば、王子としての勉強が嫌いで上手く出来ず、抜け出したとか。
あるいは、王子としての重圧に耐えかねて、お城から逃げ出してきたとか。
そういう――現状を受け入れられないが故の、辟易を。

けれど、実際のところは違った。
この少年は王族の中でも類い稀な力を持っていて。
その上国民からも感謝されて、崇められていて。
まさに夜空に浮かぶ一等星のような存在だった。

だから、落胆したのだ。
落胆したのは、自分自身に対して。

(こんなに欲張りな期待を、勝手にして)

なんとなく、合わせる顔がないなんて思っていた。

「……あっ、鳥がふん落としてるぞ」

「ぴゃ!?」

びくりと体を震わせて、ハムサンドを落としそうになる。
慌ててキャッチして、上を見上げて匂いを嗅ぐ。
鳥の影もなければ、匂いもしなかった。

「いや、ぼんやりしてたから…」

「…………誰か~~~ここに王子様が~~~~~~」

「ごめんなさい申し訳ありませんもうしません」

勢いよく頭を下げる少年を見て、少女は思わず笑みを浮かべた。
やっぱり、どうしても王子らしくはない。

「あーあ、気にしてるキャロが馬鹿みたいに思えてきた」

「えっ?お前…何かを気にしてよそよそしくなる繊細さがあったんだ」

「ここに王子様が」

「お心遣いがありがたいなあ~~!!」

言いながら姿勢よくハムサンドを食べている少年に、
一つ息をついて少女もハムサンドを頬張る。

「……貴方が抜け出してまで外に出てくるのは、
 王子でいるのに嫌気がさしたからだって、勝手に思ってたの」

それから、不意にそう零した。
隠していることも馬鹿馬鹿しいと思ったし、それが誠実でないような気もしたからだ。
それがどんなに些細なことだとしても、少女にとってはその想いは黒い絵の具で、空を濁らせてしまうから。

「ああ、まあ嫌気がさしてる…のか?
 どっちかというと単純に外に出たかったからだけど…えっ?そんなこと気にしてたの?」

「そんなことで、……そんなことだけど、決めつけたのは、キャロだし」

少女がまるで叱られてしょぼくれた子供のように言うのを、少年はぼんやりと見つめて。
それから、ふ、と目を細めて頬を緩めた。

「はあ~…キャローレって馬鹿正直というか、真面目ちゃんだな」

「えっどういう意味?からかってる?」

「おれは素直な感情で言ってます~。良いと思って褒めてるんだよ」

本当かな、と疑うような視線が少女から向いても、
少年はこれまた意に介さない様子でハムサンドを食べ終えた。
空になった包み紙を丸めて、その辺のごみ箱にポイと投げ入れるとふう、と一息ついて。

「で、この後はなにすんの?夜になるまでまたぶらぶら?」

「ええ?うーん…まあ、ぶらぶらするかな。今日はいい天気だから、お散歩したいし。
 これも本当は歩きながら食べる予定だったし」

「行儀悪~」

「ちゃんときれいに食べれば関係ないです~!
 それに、ご飯食べてる時だってお日様の光を浴びてたいもん」

「そういうもんか?」

「そういうもんです。キャロ、お昼にお散歩するの好きなんだよ。
 そりゃ、この国は夜の方が賑やかだったりするし、キャロも夜は好きだよ。
 でも同じくらい、それ以上にお昼も好き。なんだかね、笑っていたくなるもん」

そう言ってお日様を見上げた少女の目は、陽の光を反射して煌めいた。
そうして煌めいた瞳に気づいたのは、少年だけだった。

「じゃあ、いこっか。断ってもついてくるんだろうし」

「よくわかってるな…では行儀の悪い民草の少女と共に街を見物するとしようかね」

「そのわざとらしい王子様アピールはどうにかならないの?」

まだ半分くらいは残っているハムサンドを、少女はかじって歩き出す。
座ってご飯を食べる時間が惜しい程、明るい空は早く過ぎていくから。

それに、星が見えない昼間でも。一番星を見ていられるのは悪くないと、少女はそう思えた。

* ☆ *