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この日、少女は丸々一日休みの日だった。
普段している祈祷も讃美歌も、掃除もご飯の準備もない。
一日街をぶらぶらするも、一日ゴロゴロするも自由、そんな日だ。

――そんな日であるということを、少年に伝えてしまっていた。

「はあ~…」

少女は、ついこの前少年と偶然出会ったベーグル屋の前で、少し遅めの朝食を食べている。
休日であることを伝えると、少年はまた懲りずに抜け出してくることを宣言し、ここで待っているように告げてきたのである。
別に、こうして会うことも、休日を練り歩きに使うことも少女は嫌なわけではないし、楽しいと言えば楽しい。

けれど抜け出すという前提が問題で、自分が少年をたぶらかしているなんて勘違いをされた日には、
こうして会うことはもう出来なくなるだろうし、少年はもう二度と外に遊びに行けなくなるかもしれない。
最初の頃はそんなことを考える余裕はなかったし、そもそも抜け出している時に偶然会っていただけなのだけど。
今日に限っては、予定を合わせてわざわざこうして待ち合わせをしているわけだ。

「しかもまだ、お日様が上ったばかりだし…ちゃんとバレずに抜け出してこれるのかなぁ」

通りを眺めても、見慣れた姿はまだ現れない。
王族は王族だ、きっと夜明けには聖歌隊と同じように何か祈祷でもしているに違いない。
その後にすぐ抜けてくるなんてできるのだろうか。自分だったら到底そんな芸当は出来ない、少女は一人ため息をつく。

少女の想像だけでいうなら、
毎日神に祈りを捧げ、国を統制するため仕事をして、その為のいろいろな勉強をして。
遊ぶ時間なんてほとんどなく、小さい頃から立派に独り立ちすることを望まれている。
そんな生活を送っているのが、王族だ。

だから、こうして抜け出すのも少しは見逃してあげてほしい、と思うけれど。
大丈夫なのか、という心配はどうしてもあってしまう。息抜きをしてほしいと思うからこそ。
こんな風に思ってしまうのはきっと、これが三回目の逢瀬だからなのだろう。昼の星を知ってしまったから、きっと。

「…ちょっとちょっと、そこな民草の少女」

「へ?」

どこかわざとらしい鼻声と共に、少女はトントンと肩をたたかれた。
振り返ればそこにいたのは、深く帽子を被った子供――そしてその帽子の下から見えるのは、見知った顔。

「……うわ!?」

思わず一歩退く。
少年はいつものいたずらな笑みを浮かべてから帽子をとった。

「ナイスリアクション~。いやぁ、たまにはこっそりらしく変装してみようと思ってな」

「朝ごはん落とすかと思ったんだけど…?というか、ああ、変装…」

よくよく見れば、少年の今日の格好はまるでその辺りに住んでいる街の子供、といった感じだ。
どうやってこの服装を揃えたのだろうという疑問はあるが、この王子様ならそういった機転やごり押しはききそうだ、と思いながら一つ頷き。

「その恰好なら見つかる心配もなさそうだね。いや最初の時からその恰好で来てほしかったけど…」

「最初は思い付きで抜け出してきたからな~。
 その点今日は予定を立てて抜け出してきたわけだ。計画的にもなるってわけよ」

それはそうかもしれないが、それを得意げに語る様子に少女はいかにも不満げな視線をじとーっと送る。
勿論少年は意に介さずドヤ顔を浮かべたままだ。
少女はもう少年のそんな態度に慣れていたし、慣れているからこそ露骨に感情を顔に出してみせた。
少女は元々感情が顔にも言葉にも出やすいから、その方が随分と楽だった。

「…まあ、それじゃ気兼ねなくどこか行きますか王子様。特に目的も決めてないけど」

「案内は任せたぞ、民草の少女よ」

「普通逆なんじゃないかなぁ…」

こうして交わすお互いの言葉が、肘で小突くくらいのものだと知っていた。
どちらが言い出すでもなく、二人は隣に並んで歩き出した。



お日様が真上まで登ってくる。
街の人も皆すっかり起きだして、通りは活気にあふれていた。
そんな空の下、少女と少年は公園のブランコに腰かけている。

「ブランコっておれ初めて遊んだぞ。すごい高くまで飛ぶんだな~」

「飛び降りようとしたときはどうしようかと思ったけどね…
 流石に怪我までしたら隠しようがなくなるし、気をつけてよ?本当」

分かってる分かってる~、と軽く返事をする様子を横目に、少女はブランコを揺らす。
今日も空はよく晴れていて、ぽかぽかの陽気だ。公園で遊ぶ子供たちも元気で、こちらに手を振ってくる子もいる。
少女は嬉しそうに手を振り返して、それから空を見上げた。眩しいくらいのお日様の光が、少女達を照らしている。

「…お前ってよく笑うよな」

「え?まあ…そうかもだけど、カプリだってよく笑ってるよね?」

「笑ってはいるけどさぁ~」

少年もまたブランコを揺らしている。
少女は首を傾げたけれど、その言葉の先を訊くようなことはしなかった。
それはただ単純に、その言葉の先が気にならなかったからだ。

「で、王子様のご帰宅予定は?分かってると思うけど、あっという間に夜になるよ」

「今何時だっけ?…あー。もうちょっとのんびりしたら行くかなぁ」

「はいはい、そしたらお昼は食べないで帰るのかな」

「昼飯用意されちゃってるだろうしな~。
 あ、そうだ。今度会ったら頼みたいと思ってたことがあるんだよ」

足を地面につけてブランコを止めると、少年はふとそう切り出した。
つられて少女もブランコを止めて少年を見つめる。
頼まれるようなことに心当たりはなく、少女はただ少年の言葉の続きを待っていたけれど。

「ほら、キャローレってアウローラだろ?服着てたし。
 だから、讃美歌って歌えるよな?一度じっくり聴いてみたくてさ」

「………え、」

思わず、少女は言葉を失った。
その様子を見て、少年もまた、ぽかんと少女を見ていた。

「…えっなんだその反応。恥ずかしい…とかいう話じゃなさそうだけど」

「え?あーっ、いや……」

少女は誤魔化すのが下手だ。
更に言うなら、嘘をつくのも下手で、隠し事も下手だ。
それでも何か言い訳を、と頭をぐるぐる回したところで、普段使わない脳みその部分は少しも答えを返してくれない。
一つ息をつく。結局、正直に言うしかなかったのだ。

「……キャロね、讃美歌上手く歌えないんだ。すっごく音痴で、練習してるのに何度も音を外しちゃうの。
 だから、じっくり聴きたいならキャロじゃなくて別の人の歌を聞いた方がいいよ…」

気落ちした様子で、しょんぼりとそう伝えた少女に対して、少年は首を傾げた。

「いや、おれ別に上手い歌を聴きたいわけじゃなくてさ。お前の歌を聴きたいんだよ。
 上手い讃美歌なら城で何度も聞いてるしな」

「で、でも本当にすごいんだよ!?すごい…すごい音痴で…皆にも千年に一度の音痴だって…」

「そんなに………??いや、逆に聞きたくなってくるぞそう言われると」

「えええ~……」

悶々と悩んでいる様子の少女を見て、少年が可笑しそうに笑う。
少女からすればからかわれてるように見えて、じとーっと不満げに少年を睨んだ。
その視線を受けた少年は珍しく悪い悪い、なんて付け足してから一つ咳払い。

「そこまで気になるなら、一回しか頼まないからさ。
 そんでもって、他の奴にも聞こえない場所を指定するし、おれの反応が気に入らなかったらなんでも奢ってやる!
 悪い条件じゃないだろ?むしろ最良の条件を出してると思うんだが」

「王子様が権力を振りかざしてくる…」

「人聞き悪くない?」

少女はそんな風に軽口を叩いたけれど、実のところ、そこまで言われてしまっては中々断りにくかった。
それに、自分の歌を聴きたい、なんて言ってくれる人はいなかった。少女の音痴っぷりは聖歌隊の中だけでなく、その周辺にも広まっていたから。
音が外れているのに元気な歌声は、近所の人に聞こえていても勿論おかしくはないのだ。
だから、少女は歌うことが好きだけれど、最近は練習場所に悩んでいたりもしていた。

「………分かった。でもその代わりちゃんとケーキ奢ってもらうからね」

「奢ってもらうのはもう決まりなの?」

「そうだよ、そうじゃなきゃ割に合わないし!
 それと、今日は無理。悪あがきかもしれないけど、聞かせる時までに猛練習してくるから」

びしっと指さしてそう宣言する。
少年はこだわるなぁ、と言いたげに少し呆れたような顔をしたけれど、少女のまっすぐな視線を受ければはいはい、と返し。

「じゃあ次会う時だな。せっかくだし日も今のうちに決めよう。
 そうだな……じゃあ十日後にしよう。楽しみにしておるぞ~民草の少女よ…」

「ふんだ、頭がくらくらしても介抱してあげないからね!」

「それどういう意味でのくらくら?
 …っと、じゃあ今日はそろそろ帰るかな。十日後だからな、逃げるなよ~」

言うだけ言って少年は走り去っていく。
文句の一つも言う前に、その姿は流れ星のように溶けて、見えなくなった。

「………よしっ。もう今日は帰ろう。帰って特訓しよう…!!」

少女はそう意気込んで、踵を返す。
自分の歌を、誰か一人だけに歌う。讃美歌のようにこの国を、この地を祝福するためじゃない。
そんなわくわくするような、ドキドキするような新鮮な心地に、少女の足取りはいつも以上に軽やかだった。

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