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この国では年に一回、祭りが開かれる。
良く晴れた夜、星の神様であるチェレスノッテがこの地を救ったとされている日。
その日、夜空には大きな星の群れ――ヴィラ・ラッテアが見える。

この地に救いをくれたこと、この地を今も星が見守ってくれていることに感謝して
この日の夜は盛大な祭りが行われるのだ。
そして、アウローラはこの日王族の住んでいるお城で祝歌を歌う。

祝歌は讃美歌とは異なり、高い技量を持つアウローラだけが歌うことの出来る、
大きな祝福をもたらす歌だ。この歌は、素質だけでなく他の者の歌声とのハーモニー、
言葉に当てられたメロディ一つ一つが重要になってくる。

つまり、どういうことかというと。

「うう……荷物重い…」

少女は衣装やら飲み物やらの入った箱を運んでいる。
この日、少女はお城で歌うことはない。お城で歌うための試験に落ちたからだ。
なので少女はこうして、歌う者たちの手伝いをすることになっていた。

通りは、星の欠片の形を模した光る飾りや、お祭りごとに便乗するお店たちの屋台、
その他もろもろ賑やかに過ごしたい人たちの催しで埋め尽くされている。
少し高い丘にあるお城からは、その通りの光がよく見えた。
少女はふと立ち止まってそれを眺めると、目を細めて。

こうして通りを眺めていると、やっぱり皆星が好きなんだな、と思わされる。
勿論、少女も星は好きだ。だから、この日に皆が楽しそうにお祭りを楽しんでいるのを見ると
胸があったかくなるような心地がして、嬉しくなるのだ。
少女は、誰かの笑顔が好きだから。だから、皆の好きな夜が好きだ。

「…っと、早く運んじゃわないとね。皆が歌うのそろそろだし」

だから、歌えなくとも、お祭りを回れなくとも。
少女はこの一日を、幸せな気持ちで過ごせるのだ。



少女とよく話している隣人は、
毎年このお城で歌える実力のある優秀なアウローラだ。
少女が荷物やら何やらをもって隣人たちの控室に行くと、その隣人は真っ先に少女の方へと歩み寄った。

「緊張しちゃうわぁ…キャローレ、ちょっと歌ってくれません?」

「お城で歌うのは控室でも気が引けるからやだ」

「もう、ふふふ。荷物、持ってきてくれたんですね。
 これで全部だったかしら…ありがとう」

隣人は少女から荷物を受け取ると、ひらひらと手を振って去っていった。
少女はそれを見送って、控室を後にする。

「毎年のことでも、やっぱり緊張するんだなぁ…」

やっぱり歌ってあげた方がよかったんだろうか、と思いつつも
お城の中を歩いていく。そろそろ、アウローラは大広間で歌う時間だろう。
だから、少女はそちらの方へ足を向ける。大広間の中には入れないけれど、その近くにいれば中の音は聞こえる。
祝歌を聴けるのもまた、特権だと思っているから。

「……お、キャローレ」

すると向こう側から見知った顔が歩いてきた。
少女の方へ手を振った少年は、今日ばかりは王子らしい正装に身を包んでいる。

「あんまりここで話してたら抜け出してることバレるよ…?」

「大丈夫大丈夫、今皆大広間だろ。
 …とはいえゆっくり話はできないけどな、今日は」

「そりゃそうだろうね…カプリもそろそろ行かないとまずいんじゃないの?」

「まあそれはそう。お前は歌わないんだな、残念」

「試験に落ちたので……」

「アウローラも大変だな、ほんと。
 っと、流石にそろそろ行くか。じゃ、またな~」

去っていく背中を見送る。同じ方向には向かうのだけど、今日の二人は近くにいられないから。
だから少年は一緒に行こうとは言わなかったし、少女も一緒に歩き出そうとはしなかった。

「……キャロも行かなくちゃね」

そうしてゆっくりと、同じ道を後から歩き始めた。



少女が大広間の前に着くころには、アウローラの歌声が響き始めていた。
透明で、キラキラと零れる星の光のように繊細で優しく、綺麗な歌声。
扉の隙間から漏れてくる音は、少しだけ開いたカーテンの向こうの星空のように、
儚く、けれど煌めく光のように響いていた。

少女は、壁に凭れ掛かって目を閉じると、ただその歌声だけに感じ入っていた。
少女の歌はこんな風にはならない。きっと一生、こうはなれない。
それを分かっていても、星に手を伸ばしてしまう。

(……そんなことばかりだな)

歌も、星も、少年のことも。
どこか自分とは別の場所にあるように思えて、けれど手を伸ばしている。
けれど、きっと、その中で一番手が届きそうなのは。

「……、っと…終わったのかな」

拍手の音で思考は途切れる。
片付けを済ませないと、少女の今日の仕事は終わらない。
そっと大広間から離れると、人がいなくなった頃を見計らってもう一度近づいて、扉を開いた。

「失礼しまーす……」

お城の一室、というにふさわしい装飾品や模様の入った壁、床。
それから、夜空程に高く感じられる煌びやかな天井。
カツン、と少女の足音だけがその大きな部屋にこだました。

「なんか悪いことしてる気分になる…早く片付けちゃお」

少女は、譜面台や諸々を手早く片付けると、脇に寄せておく。
少女のやるべきことはここまでで、運ぶのは別の隣人たちの担当だ。
ふう、と一つ息をついて片付けたものたちを見つめると、意気揚々とその場を後にした。



廊下を足早に歩いていく。特にこれ以上の用事はないし、少年と会っても話をできるわけではないから。
お城勤めの騎士や司書、色んな人がすれ違っていく。やっぱりこんなところで働く人は、綺麗な格好をしているな、なんて。
すれ違いについつい人を見つめながら、少女はふと立ち止まった。

「…いけない、忘れ物した!」

くるりと身を翻し、大広間へと戻っていく。
もしかしたら隣人たちが荷物と一緒に運んでくれたかもしれないけれど、お城に忘れ物なんて肝が冷えるものだから。
そろそろ大広間も閉ざされてしまうかもしれない。少女は転ばない程度に急いで、来た道を戻っていく。

そうして再び扉を開ける。人のいない大広間を見回すと、ぽつんと落ちているハンカチが視界に入った。

「あったあった、よかった~…」

それを拾い上げると、少女の背後で扉の開く音がした。
突然のことに、思わず柱の陰に身を隠す。

(か、隠れちゃった…)

見つかったときの言い訳を考えながら少女は息を顰める。
入ってきたのは二人組で、少年が着ていた正装に少し似ている服をそれぞれに身に着けていた。
その内の一人の脇には、ふわふわと宝石が浮かんでいる――緑色の星の欠片だ。

耳を澄まさずとも、その広く高い空間では二人組の声がよく聞こえてくる。

「カプリコルノ様も本当にお気の毒に」

「ああ…もう来年のこの日にはいらっしゃらないだろうな」

話しているのは、少年のことのようだ。
二人組の、声はどこか暗い。
無意識に息が止まる。どこかに行ってしまうのだろうか、と少女が予想した言葉の先は。

「――もう長くないんだろう?あんなに若いのに、亡くなられてしまうなんて…」



「………ぇ、」

小さく声が漏れた。ぼんやりとした、感情の籠らない声だった。
二人組はそれに気づくこともなく大広間を後にする。扉の閉じる音が、やけに大きく響いた。
拾い上げたハンカチが音もなく床に落ちる。ぐるぐると、目の前の景色が分からなくなっていく。

来年には、もういない。
亡くなる、死ぬ、死んでしまう?
そんな話を少女は少しも聴いたことはなかった。
当たり前のように、穏やかで密やかな逢瀬がいつまでも続くと、



――少女が次に目を開いたのは、自分のベッドの上だ。

ああ、もしかしてさっき聴いたのは、夢だったのかな、と。
そんなささやかでどうしようもない逃避さえ、枕元に置かれた少し汚れてしまったハンカチと、
見覚えのない筆跡のメモに書かれた『お大事になさって下さい』という言葉に、立ちふさがれて。

それでも実感が湧かなかった。
もしかして本当に死んでしまうまで、あの言葉を自分は信じられないのだろうか、と思った。
そうして最後の最後にやっと絶望する自分を想像して、ぞっとした。

ぷつんと、日常が、途切れる音がする。

少女は星なんて見えない天井を、見慣れた天井をただぼんやりと見つめて、それから。

* ☆ *