* ☆ *




少女は帰って早々、隣人たちに話を聞いた。
例えば、腕のいい医者を知らないか、とか。星の欠片の秘密を知らないか、とか。
そんなことを聴いて回ったけれど、結局役に立ちそうな情報は得られなかった。

「はあ~……」

そうしていつの間にか、すっかり夜も更けてしまったので、ベッドにぐでっと寝転がっている。
探し始めて一日目とはいえ、進展が全くないと気も滅入ってくるものだ。

「何か…何かないかな、どこか、誰か……」

いいながら、少女は枕元の本に手を伸ばした。
手持無沙汰になると、特に理由もなくこの本を読むのだ。
すっかり色あせた、古い歴史の本。

「………あ、」



少女は次の日、朝起きて早々に部屋を出ていくと、通りを早足で歩いていく。
何かを探す素振りのない、迷いのない足取りだ。そうして少女は段々と、通りから少し逸れ始める。

やがて、幹の太い大木の前で立ち止まった。
ちらりとだけ本を開く。そこには、手書きの地図があった。けれど、すぐに閉じてから顔を上げる。
一見すればそれは、何の変哲もない木でしかない。
けれど、よくよく観察すれば、人ひとりが通れるくらいの長方形の切れ目があった。
少女は木の幹を押す。すると、その部分だけくりぬかれているようにずれていき、やがてすっぽりと抜けてしまった。

その先には、地下へと続く階段がある。少女はそれをゆっくりと下っていく。
点々と、小さな灯だけが燈る長い階段を最後まで下ると、そこには扉が一つ。

「………」

その扉には、本一冊分の薄い箱がくっついている。
少女はそれに本を差し込んだ。カチリ、と鍵が開く音。
扉を押せば、錆びた蝶番が軋む音が響いて、その奥が見えてくる。

――そこには、びっしりと本の詰まった本棚がいくつも並び、それから、ぽつんと座る女性。

「…あら。おかえりなさい、キャローレ」

そして、その女性は少女を見つめて、そう微笑んで見せた。

「………ただいま、お母さん」

そうぎこちなく返事をして、部屋に入る。
勿論、女性は少女の本当の母親ではない。女性がそう呼ばせているだけだ。

「いつまでたっても慣れないのね。それで、どんな用事?
 貴方、半年に一回くらいしか帰ってこないのに」

「…探し物。ここにある本を読ませてほしいの」

「へえ…貴方、その本の中身も暗記できていないのに、まだ何か読もうとしているの?
 随分珍しいじゃない。本は苦手じゃなかった?」

「苦手は、苦手だけど……」

女性はくすくすと笑みをこぼしている。
少女が持っている本は、女性が遠く昔にプレゼントしたものだ。
更に言えば、捨て子であった少女をアウローラに連れてきたのも、この女性だという。

率直に言えば、少女はこの女性をあまり信用していなかった。
女性は少女に本を与えて、未来を与えたけれど、それが同情や労りから来るようには思えなかったからだ。
名前を訊いても素性を訊いてもごまかされるだけ、いたずらに笑うだけ。
少女がかつてどこに捨てられていたのかさえ、女性は話そうとしなかった。

「まあいいわ。態々私のところまでやってくるなんて、余程の用事なんだろうから。
 好きなだけ読んでいきなさい、この国が捨てた本たちを」

…そう、ここにある本はかつてこの国が不要として、打ち捨てた本たちだ。
今はもう必要ないと判断されて、読まれることのなくなった本たち。
女性は何かしらの手段でそれを集めて、ここに仕舞っている。勿論、少女がその手段を教えてもらったことはない。

そして、拾った本を適当に片づけていくものだから、いろんな本がごちゃごちゃになっているのだ。
勿論被りもある。状態がよくない本もある。その中から目的の本を探す。気の遠くなる作業と言えば、そうだ。
けれど、少女にとって王様たちですら探さない場所は、他に心当たりがない。
女性の話を信じるならば、どうやらここを知っているのは少女だけらしいから。

「……ねえ、なんでこんなに捨てられた本を集めてるの?」

「なんでって…面白いからに決まってるじゃない。
 捨てられて置き去りになったものを拾い上げて、何に使えるか考えるのはとーっても面白いわ」

「外に出たらもっと面白いことたくさんあるんじゃ…」

「いやよ。疲れるもの」

少女は冷めた目で女性を見つめた。女性は膝の上に乗せた本を開く。
一つため息をつくと、少女は本棚の方へと歩いて行った。



そうして本を物色し始めた少女だが、ものの見事に引きが悪い。
かたや誰かの落書き帳、かたやトンチキレシピ集、かたやいかがわしい本…

「ここ、本当にまともな本があるのかな…」

背表紙は、読める本もあれば掠れて読めなくなってしまってる本もある。
結局は片っ端から中身を確認するしかない。
パラパラと捲って、外れだったら戻して、の繰り返し。
一週間みっちり漁ったとして、半分も見れるか分からない。
思わず、ため息が漏れた。

「せめてジャンルごとに分けるとか、そういうことがしてあればましなのに」

まるで子供のおもちゃ箱のようだ。気になったから拾って集めて、けれど適当に仕舞って。
その癖他の人が手を付けようとすると、宝物を守る様に拒否するのだ。

なんて文句を心の中でぶつくさ言いながら数時間。
結局何の成果も得られないまま、時計の鐘が夜を知らせた。

「も、もう夜…!?どうしよう……」

少女はここしばらく、祈祷を休み続けている。
流石にお咎めを受けてもおかしくない頃合いだ。ただでさえ少女は、休む理由をいつも曖昧にぼかしているのだから。

「帰るの?その様子だと、また何も見つかってないみたいだけど」

女性はからかうようにそう訊ねる。
少女の不機嫌そうな視線が女性へと向いた。

「祈祷と讃美歌もあるし、星光浴もあるし……」

反抗心からか、そう言い訳を並べたけれど、それが今優先すべきことではないことも分かっている。
そもそも、真剣に祈祷や讃美歌を出来る心情でもない。

「……じゃあ、そうだ。閉じ込めてあげましょうか」

「えっ?」

女性は気づけば少女の背後に。
呆気にとられているうちに、少女が持ってきていた本を取り上げた。

「ちょ、ちょっと…!」

「安心して。ちゃーんと寝泊まりする場所は用意してあるわ。ご飯も、そこにある保存食を適当に食べなさい。
 貴方がここを出るのに納得できるものを得られたら、この本を返してあげる」

楽し気に、片手に持った本を揺らす。
内側から開ける分には、本はいらないけれど。もう一度ここに戻ってくるにはそれが必要だ。
だから結局、少女にとっては閉じ込められることと、本を取り上げられることは同義になっていた。

「私は貴方が何を探しているのかにこれっぽっちも興味はないけれど、
 拾ったものが何をしてくれるのかにはすごく興味があるの。だから何の役に立つか、見せて頂戴」

少女は無理矢理にでも本を取り返すことはできた。けれど、それはしなかった。
ただのんびりと歩いていく女性の後姿を、呆然と見つめるだけだった。



そうして少女はまた、本をあさり始める。
この部屋は地下にあるものだから、時計を見ないと時間も分からない。
そして少女は時計を見る暇もなく本をあさっているから、いつまでも、いつまでも本と向き合っていた。

「キャローレ、もう日が変わるわよ?探し物も、寝ないと捗らないのは、分かっているでしょ」

「……、…分かってる。そろそろ寝る」

「素直でよろしい。寝室はあっちの奥にあるわ。好きに使いなさい」

それだけを言って去っていく。女性もきっと、そろそろ寝るのだろう。
部屋に二人でいるのに、たいして言葉も交わさない。信用してない相手に対する態度としては、妥当ではある。
少女は、けれど、今だけはそうした無言がありがたかった。
アウローラの隣人たちのことは大好きだけれど、何にもない振りをして笑うのは、少なからずすり減るものだ。

少女はふらりと立ち上がって、教えられた通り寝室へと向かう。
素直に眠れる心地でなくとも、少しでも頭を休めなければ、結果的に調べ物は遅くなるのだから。

「……カプリ…、」

ここから星は見えない。見えるはずもない。
二人で歩いた通りも、陽の光すらも届かない。けれどそれはきっと、少年も同じことだ。
そういう、救いの手を見ることすらできない、星のない暗闇に少年はずっといたのだから。

だから、少女は眠る。少年に一番近いはずの、一人きりの夜の中で。

* ☆ *